女性のやさしさ、あたたかさを市政に!

決意表明

私の活動の出発点とは・・・

平成13年、私は第一子を授かり母となりました。安産でしたが、娘が1歳のお誕生を迎える少し前に難病が見つかりました。それは、脊髄に腫瘍があり、下肢が麻痺していて、生涯歩行が難しいとのことでした。その日から、娘との闘病生活が始まりました。夫と奇跡を信じて全国の名医を訪ねたのですが、これといった突破口を見出すことがなく、地道にリハビリをしていく道を選択しました。
数年後第2子が生まれ、穏やかな日が続いたのですが、今度は夫が急にくも膜下出血で倒れ、幸い命は取り留めたものの重度の障害を負うこととなりました。植物状態のまま6年半が経ち、平成25年春についに帰らぬ人となりました。

乳飲み子と障害児を抱えて、女手ひとりで子どもを育てていくことは、並大抵の苦労ではございません。正直、ウツになりそうな時もありましたが、幸いわたしの周りには温かく見守ってくれる方々がたくさんいました。両親、ご近所、親戚、育児の仲間たち、同級生・・・行政にも相談に行き、社会保障制度もフルに活用させていただくことで、何とか窮地を乗り切ることができました。

このような境遇の中で、程度の差はあるものの障害を持ったお子さんが多いことも知りました。私のようにシングルマザーで子育てをしているお母さん方が多いことも知りました。また伴侶に先立たれて、つらく寂しい想いを抱えながら生きている方が多いことも知りました。
人一倍つらい経験をしてきた私だからこそ、他者の痛みもよくわかります。私だからこそ、この生まれ育った伊勢原のためにできることがあるのではないか、お世話になった伊勢原の人々のためになりたいと思い、市議会議員にならせて頂きました。

議員としては、まだ歩み始めたばかりですが、一歩一歩大切にし、市民の皆様に見守られながら今後も活動に取り組んで参ります。

橋田夏枝

家族のきづな

私の両親と二人の子どもたちは、私の心の支えです。両親の助けがあるからこそ、市議会議員としての思い切った活動が可能となるのです。女性にとって、家庭と仕事の両立は、けして容易ではございません。

夫が病に倒れて以来、ずっとシングルマザーのような生活を強いられてきました。そんな私を支えてくれたのは、両親でした。 夫が倒れた当時、保育園児だった二人の子どもたちは、小学生と中学生になるまで成長しました。今では、子どもたちも母の仕事に少しずつ理解を示してくれています。 家族の理解があるからこそ、市議会議員として市民のためになれる活動がしっかりできるのです。そんな家族に心から感謝をしています。

家族のきづな
四季の名前でつながっています。
春樹・夏枝・秋奈